機能的価値から情緒的価値へ

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2月の前半で長野県の松本市と諏訪市に旅をしてきました。
東京から3時間ほど離れた場所なのですが、日本アルプスに囲まれた土地に足を踏み入れると何気ない空気の美味しさや光の差す角度などが異なっていてとても新鮮です。
昨年鎌倉のあるお寺を散歩している時に、そこで働く庭師の方が「例えば人生がお鍋に入ったお湯だとしたら、日々の生活を営んでいるとどうしても吹きこぼれそうになる場面もあると。たまには、お鍋の蓋を外してガス抜き(湯気抜き?)をする必要があって、日常から少し離れて見ることが大事なんだ。人には旅が必要なんだよ。」と話かけてくれたことを思い出します。
僕には、定期的に旅が必要のようです。

そして旅先にはつきもののお土産。
今回も何か旅の記憶に残るものはないかなと色々なお店を巡って探してみましたが、なぜか「これっ!」といったものがなかなか見つかりません。
そうはいってもいくつか買ってみたものをみてみると、パンにりんごにグラノーラにお茶にと食べ物が多いのなんの。一昔前ならそこの産地の器や工芸品などをお土産として買って帰っていたので少し驚きです。元々、食べることが好きなのですが、お土産の食料品がたくさん入ったカバンをみながらそのセレクトについて思考を巡らせてみると、モノのピークと自分のスタイルの関係性の変化があるのかなと感じました。

ここでいう「モノのピーク」とはモノの完成形の状態である時間言い換えてもいいかもしれません。
例えば工芸品などは、基本的にはディスプレイされている時がピークであり、購入して使ううちに劣化していくことは避けられません。もちろん劣化を楽しんでいくという考え方もあるとは思います。
そして今回の食料品について考えてみると、あくまで材料であるので組み立てる工程、つまり調理するプロセスが発生します。材料に自分なりのアレンジを加えたりすることで、そのモノのポテンシャルを最大限に引き出せたりもします。モノと自己の対話といった感じですかね。その対話が上手くいき美味しく食べられればOKで、イマイチだったらまた次にチャレンジするといったように、「モノのピーク」が限定されておらず、そのピークに向かっていくまでのプロセスまでもコンテンツになっていくのではないでしょうか。
今回はあくまで食料品という切り口で考えてみましたが、今後のモノづくりに必要な要素は、手に取る人が想像し創造していくプロセスや時間をどう設計していくかということが価値になってくるのだろうと感じます。


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