異なる知覚と似ている知覚

 

 年末から再び読み始めたエドワード・ホール著「かくれた次元」をようやく完読することが出来た。人間の知覚を科学的に論じ、異なる文化圏での知覚の相違から、それが現代や未来の都市生活にどのような影響を与えるのかということまでが、普遍的にまとめられている。世の中に、フィジカル、マインド、アナログにデジタルと場面を問わず争いが起こってしまう根本の原因は、人間の習慣に基づく知覚の違いから来ていることを理解し、それらの対立を乗り越えるためには、対話や経験を通した「理解」が必要であることを学ぶことが出来た。

 

 

 特に本書の最後の節に書いてあった、人間はどんなに努力しても自分の文化から脱け出すことはできない、という部分がとても考えさせられた。つまり文化というものは、人間の五感を通した神経系の根源まで浸透していて、意識的な制御の外にあるため例えば一日の瞬きの回数をコントロールするのが困難なように、文化や知覚をコントロールすることはとても難しいことなのだ。

 一方、異なる知覚を持った異なる文化圏で生活している中で使っている道具に目を向けてみる。人の行為を補助する役割を持つ道具などは、大きく考えてみれば人間の肢体を拡張したモノとして捉えることが出来るだろう。世界に散らばっている道具からその土地の文化的な生活についてアプローチする考え方もあるだろうし、その道具の多様さを見れば、グローバル化、情報化が進んだ今の世界とて、その広大さや未知性に溢れているはずだ。

 たとえ、その地域の範囲を日本という制約を加えたとしても、南北に伸びている日本列島の北海道と沖縄とでは、特に古くから使われている道具に注目してみると、その多様さを実感させられる。これらの道具の違いやそもそもの知覚の違いに影響を与えているのは、先に挙げた「かくれた次元」でも論じられているが、気候などの影響による温度環境要因による知覚の影響も多分に受けているはずだろう。

 2015年から数年間にかけてデンマークのデザインミュージアムで開催されていた「Learning From Japan」という企画展がある。デンマーク国内外からも大きな評価を受けたこの企画展だが、日本とデンマークがデザインという分野の中でどのような影響を与え合ったのかということを、プロダクトデザインを通して視覚的に展示していた。ディスプレイされていた日本のモノとデンマークのモノを見てみると、展示キャプションなしでモノを眺めて見れば、それがどちらの国で生まれたモノなのかを判別することがとても難しく、表現感覚として酷似しているモノが多くあることに気づかされ、驚かされた。

 

 

 この企画展が示すようにデザインの人的な相互影響はもちろんあると思うのだが、それらを使うもしくは鑑賞している文化圏の異なる人たちに共通する知覚はあるのだろうと推察できる。マガジンa quiet dayで探究していきたい部分は、表面的なアウトプットではなく、こういった共通する知覚の部分なのだろうと改めて考えさせられるのだった。

こちらのコラムは2021年1月31日に配信されたニュースレターの内容の再編集版です。
https://mailchi.mp/30f04fcae308/8plizdr10n


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