古きモノの使命

 今、現代美術作家でもあり江之浦測候所を設計した杉本博司氏著「苔のむすまで」を図書館で借りてきて読んでいる。もちろん以前から氏の活動は知っていたのだけれど、毎月デザイナーの原研哉氏が配信しているニュースレター「低空飛行」のポッドキャストのゲストが杉本博司氏で、そのコンテンツの中の対話の端々に自分が気になるキーワードが出てきて、興味が湧き、「苔のむすまで」を手に取ったわけだ。

 

 

 

 この本はアーティストや骨董商としてアメリカでの生活が長い杉本氏の日本人的とも海外からの視点とも言い難い独自の言葉選びによって書かれたエッセイが一冊にまとめられており、とても興味深く読み進めている。

 その中のひとつのエッセイ「骨の薫り」に、どうして氏が骨董商として事業を行なわなければならなかったのかという、きっかけの部分やモノを見る眼が養われていくまでの様が書かれていた。自分もヴィンテージなどを買い集めているので、そういった骨董商の端くれとして、モノを通して開けてくる世界やモノを見る眼が育っていくという実感が、このエッセイの中でダブってくるようで、海外に行けなくなってしまった今はそんな感覚がすっかりと鈍くなってしまっているのだろうと少し寂しい気持ちでもある。杉本氏がつけた「骨の薫り」というタイトルだが、これは古いモノと対峙するにはとても良い言葉だと感じた。それまでは誰も見向きもしなかったモノが、何かのきっかけで見つけられそこに今までとは文脈の異なる価値が付加されていく様は、動かなくなってしまったモノに新たな命の息吹が芽生えるような感じなのだろう。

 

 

 マガジンa quiet dayを制作していて、今でこそインタビューがメインとなっている北欧への旅だが、創刊して4号くらい作っていた2年目くらいまでは、旅の中の優先度はヴィンテージの買付の方がメインだったように思う。北欧諸国ではイースターのシーズン(ちょうど今頃だろう)を終えた頃から週末になると至る所で蚤の市が開かれている。都市の中心部から外れたところに足を運べば、どこかの学校の大きな体育館を会場としてガラクタやお宝が入り混じりながら陳列されている。

 

 

 ノルウェーの首都オスロの郊外の学校で開催された大きな蚤の市に、首都オスロでカフェ兼ヴィンテージショップを営むRetrolykkeのオーナーTonjeに一緒に連れて行ってもらったのがとても印象に残っている。

 

 

 開場前には長蛇の列が体育館の前にできていて、いざ開場となったら鼓笛隊などの演奏などもあって大盛り上がりだった。二人で無心で2時間くらいかけてお宝を探し求めていたけれど、自分にとってはオスロ中心部に戻る帰りの車でTonjeが話してくれた言葉が一番大きなお宝だったかもしれない。

 それは、この蚤の市自体が、モノを介する街の経済循環を作っているとのことだった。貧しい移民なども多くいる社会状況の中で、生活必需品などを揃えていくにはとても大変な状況なのはご理解いただけるだろう。そういった中、こういう蚤の市があることで、モノを選ばなければ安価に生活必需品を揃えることも可能なのだ。この誰かの不用品が誰かの必需品になるということを、シンプルに仕組みとして継続している蚤の市はもちろんのこと、北欧諸国にはセカンドハンドショップというお店形態が市民権を得ていることもあり、どこの都市を歩いていても見つけることができるし、そこの売上の何%かをそういった社会的に弱い立場にある人たちをサポートする団体などへの寄付として循環するケースも多くあるようだ。

 

 

 少し視点を変えてみよう。経済的な観点から考えてみると一般的なモノに関して言えば、需要がある都市部の方が様々な種類のモノが集まってきそうだと検討がつくだろう。確かにその通りで多くのモノが集まってくる。しかし、ことヴィンテージに限っては、その土地によって集まってくるモノが異なってくるのが面白いところ。もし仮に自分の好きなメーカーのヴィンテージが欲しいのであれば、そのメーカーが所在する、もしくは過去に所在した場所の近辺のヴィンテージショップや蚤の市を覗いてみることをお勧めする。

 今でこそ、物流網が広がっているので色々なモノも過不足なく広まっているが、今のヴィンテージ品が現行品だった頃の時代は、やはりその土地の生活者のためにモノづくりがなされていたはずだ。その証拠とも言えるのが、デンマークのボーンホルム島にかつてあった陶器メーカーのMichael Andersenのヴィンテージ品。このブランドのヴィンテージの後ろには、かつてこの島のメイン産業であった漁業を表す魚のシンボルマークが付いていたりする。

 

 

 古きモノのデザインの細部にその土地の記憶が刻まれ、次に手にする人たちの生活や感性を支えるモノへと役割を変えて引き継がれていく、いわゆる「意味の置換」が自然と行われているわけだ。昨今、サステイナブルやサーキュラーエコノミーなどということが持て囃され浮き足立っている感は否めないが、もう一度古いモノをしっかりとした眼で見直していきたいものだ。

 

こちらのコラムは2021年4月3日に配信されたニュースレターの内容の再編集版です。 

https://mailchi.mp/9abcd519d484/20210403


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