Welcome to my world

 今週半ば、少し煮詰まった仕事のことや、これから同時並行で起こることを想像し過ぎてしまい、少し胸が苦しくなり(本当に苦しくなったわけでは無い)ふと思い立ってリフレッシュと新たな住まいの周りの探検を兼ねて車で山奥の温泉地に行ってきた。

 大自然の山道を走ること30分、そこに一軒の日帰り温泉施設が現れるのだが、平日の日中帯にも関わらず地元の人や温泉好きたちが集まっていた。温泉だけでなくその施設の中には、山小屋のようなカフェ兼食堂などもあり、メニューなどは至ってシンプルで普通の丼ものや定食が多いのだが、実は使っている食材はローカルのこだわったもので提供されていて地産地消が体現されていたのだった。

 2時間ほど温泉やその施設を満喫し、また自宅での仕事に戻ろうと車に乗り込むと、ふとサイモン&ガーファンクルの曲が聴きたくなった。それもそのはずで両側が森に囲まれた山道を走っている景色が5年ほど前にスウェーデンのカルマルからコスタやボダに友人のマティアスの車で走って買付の旅をした時の景色とシンクロし、その時聴いていたのがサイモン&ガーファンクルだったからなのだ。

 

 

 知人の紹介で仲良くなったマティアスは、スウェディッシュポップの音楽が好きな人はご存知かと思うけれど、The Cardigansというグループの衣装デザイナーを勤めていた。90年代のクラブシーンを席巻していたThe Cardigansとともに活躍していたそんなマティアスの現在はというと、衣装デザイナーの仕事を離れ、エーランド島というスウェーデンでも2番目に大きな島でひっそりと美術館やキュレーターたちにアーティストを繋げるビジネスをマイペースに行なっているとのことだった。

 そんなマティアスと自分の共通点はといえば、古いヴィンテージやアートが好きということ。その当時、自分がスウェーデンのガラスアーティスト「エリックホグラン」を集めていたことを知ったマティアスは、ある日「いつか一緒に車で買付でもしよう」と連絡をくれ、その誘いを真に受けてノープランのままデンマークのコペンハーゲンから4時間電車に揺られ、エーランド島からほど近いカルマルという駅でマティアスと合流するにいたったのだった。

 

 

 マティアスの車はお世辞にも綺麗とも言えないくらいくたびれていて、音楽もCDを入れるタイプのものだった。自分が日本から北欧に入ったばかりだったこともあり、時差ぼけも抜けておらず車の中ではうつらうつらすることも多かったが丸2日間くらいスウェーデンの中部を走り回って、色々と買付を行なった。お目当てのホグランのヴィンテージは、大量にコレクションしているヴィンテージショップが定休日だったりで、寂しい収穫となってしまったのだが、そのドライブ中にかかっていたサイモン&ガーファンクルやエルビスプレスリーの音楽と初夏の陽射しで温くなってしまったコーラのペットボトル、それと車窓に流れる情景とがセットになって強烈に記憶に残っている。

 

 

 

 2日間ともに帰ってきたのは夕方くらいで、家に到着する前のラストの一曲はお決まりでエルビスプレスリーの「Welcome to my world」をマティアスがしたり顔で流していた。広い草原のような場所に一軒だけ佇む家にパートナーと暮らしているマティアスだったのだが、半地下で栽培している温室野菜や庭のルバーブ、ニワトリなど家の隅から隅までを少し誇らしげに紹介してくれた。

 

 

そのあと「俺の相棒を紹介する」と、自身で改造している古いスポーツカーに一緒に乗り込み、誰もいない田舎道をシートベルトなしで、時速200kmで走るという何かの罰ゲームのような体験もさせてもらった。

 

 

 2日間お世話になったマティアスの家のカウチに寝転がりながらふと夜遅くに、どうしてかつては売れっ子のファッションデザイナーだったのに、こういう悠々自適な生活に変わったのかとても気になった。ぼんやりとそんなことを考えているうちにまた睡魔が襲ってきたのと、そんなことを直接聞くのも野暮だと思い、結局聞かずじまいになって旅は終わってしまったのだった。

 

 今、改めて考えてみるとマティアスは、自分自身が何によって満たされているのかを熟知していたのだろう。週末に蚤の市に出向き自分の好みに合うアートやヴィンテージを買い集めながら、自分の感情を活かしてアーティストと機会を繋ぎ合わせ、日常生活では自分で何かを育てたり、改造したりといったようなことがマティアスにとっての幸福の栄養素であって、決してそれは金銭的なもので解決できるものでも、地位や名誉があるからといって実現できることでもないのだろう。マティアスが帰り道にプレスリーの「Welcome to my world」をかけたことはそういったことを意味していたのかもしれないなんて、温泉から帰る道すがら思い返すのだった。

 

こちらのコラムは2021年4月10日に配信されたニュースレターの内容の再編集版です。 

https://mailchi.mp/c5b035726705/20210410


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