静謐と喧騒のあいだで

 ここのところ、風がとても強い。自然に囲まれていると木々や草花の変化はもちろんのこと風や大気の微妙な変化を感じている。ごぉごぉと音を立てながら昼夜を問わずに吹く風の中にいると、自然の偉大さの中で人間はほとんど太刀打ちができないということを感じざるを得ないばかりでなく、都会には無い自然の「喧騒」を感じる。

 住まいを長野に移してみると車無しではいられない。分かってはいたけれど車というものにそもそも興味がなかった故、自転車でもなんとかなるだろうと高を括り誤魔化していた。けれど、東京のように全ての社会インフラが維持できなくなっているのか、そもそも東京で普通に行われている社会インフラが少し異質なのかは判別できないけれど、例を挙げると缶・ビンやダンボールなどは家の近くのゴミ集積所に捨てることができない。

 では、そういったゴミが出るものは使うことが出来ないのかというと、そんな馬鹿げたことではなく、毎週末決められたどこかのスーパーで捨てることができる。なるほど、都会のように住宅が密集しているわけではないので、委託収集車を自治体が手配し運営していく財政支出が賄えない部分を、住民自らの手で収集するという仕組みにしているのかと推察できる。こういったことは、車がないと不便どころか、捨てることさえ難しい状況になってしまうが、車を手に入れることができればなんてことはない、むしろ都会での生活では当たり前として気にすることさえなかったインフラサービスというものに気づくことが出来て新たな発見となるし、改めて自治体と市民との関係性について考えてみたくなるきっかけとなった。

 

 

 ありがたいことに住まいを移した後にも、様々な仕事をリモートでやらせてもらっている。その状況は東京にいた頃からリモートワークだったので、内容自体や形態はそこまで変化はなく、むしろ今年から新たにいくつかのプロジェクトが加わり、自宅のデスクに向かっている時間は明らかに増えたように感じるのにもかかわらず、住まいを移した今の方が、実感値の時間の流れとしてとてもゆっくりとしたものに感じられる。

 似た感覚としては北欧に取材に行っている期間だろう。分刻みの取材を行なっている間も、もちろん東京での仕事を現地でやっていたりしていたのだが、旅先では時差があるので現地時間に体内時計があってくると時差の関係で自分のペースで物事を考えることが出来たり、何より普段よりも良く歩くのですこぶる体調が良い。そんな感じで取材と取材の間にポカっと空いてしまった時間にメールを返信したり、資料を作ったり、ある時なんかはクライアントの冊子作りをなぜか北欧のカフェでやっていたりした。

 

 今のワークスタイルとこの旅先でのそれの特徴は、自分のベストの力を最大限に引き出すことが出来て、集中しているフローの状態を作ることが出来ているということなのだろう。

 

 

 思えば今は東京にいるころに比べ、気持ち切り替えがうまくいっていおり、身体の面でも最大限のパフォーマンスができるようにコンディションが整っているように感じている。それは、暮らしを営む環境の「静謐」と「喧騒」のバランスにもよるのではないだろうか。

 気持ちの面では、デスクからふと目線を上げれば山々の稜線がしっかりと目に入るし、今の時期、否応なしにごぉごぉと風が吹く音が聞こえてくるので、意識せずとも気持ちの切り替えが出来るし、それこそ車で5分も走れば景色が変わるのだ。それは都会の快適な高層ビルの中では決して味わえるものではない。

 

 

 そして身体面のコンディションといえば新鮮な食材が近くにあるということが3ヶ月過ごしてみた体調を振り返ってみて実感できる。こう書いていると、どこかのアスリートのようだとツッコミが入りそうだが、こういったように自分のパワーが最大限に発揮できるようなコンディション作りやフローな状態をいかに作っていくかが、これからの時代社会でとても大切な要素になってくるのではないだろうか。そんなことを、ふと考えてみた。

 

こちらのコラムは2021年4月17日に配信されたニュースレターの内容の再編集版です。 
https://mailchi.mp/c958edc69a7f/20210417


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