作る人、生きる人

 最近車で道を走っていると、面白い。車のフロントガラス越しから見える山々が新緑に変わってきているだけでも気分が上がってくるのだが、街道沿いの畑では土を耕している人、そして冬の時期とは比べ物にならないほど、軽トラが街中を走り回っている。まさに、街が動き出したのだ。 

 車から降りてもそんな気分にさせてくれる。自分の生活拠点である長野県上田市に所在するホームセンターには、グリーンファームのような家庭菜園や農作業に必要な種、苗、土、そして農機具などを販売している場所が必ずと言っていいほど併設されている。近所のホームセンターにも、もれなくそのようなグリーンファームがあるのだが、休日にもなるとレジ前には、定植用の苗をこれでもかと抱えた人たちで長蛇の列ができるほど賑わっている。

 実際に統計を取ったわけではないので、肌感覚的なものになってくるのだが、というのもこの街は、「半農半X」のようなライフスタイルがごく自然に浸透しているのを感じる。今の時期の予定などを知り合いなどと調整していると、農業をメインとしているわけではないけれど、「5月の週末は田んぼで埋まってしまっている」と言ったような声をよく聞くものだ。

 

 

 この「半農半X」のスタイルはどこから生まれてきたのかを紐解いてみると、上田市発祥で全国各地に広まった「農民美術」に行きつく。

 

(山本鼎 自画像(1915年) Wikipediaより)

 

 「農民美術」は日本の洋画家として知られる山本鼎(かなえ)を端緒として語られることが多い。山本は絵画の修行でフランスに留学をしており、1916年フランスからの帰路に滞在したモスクワの農民美術蒐集館で北欧やロシアの農民が冬期間に作った、素朴で野趣豊かな素朴な人形と出会ったことやトルストイが始めた農民学校の話に感銘を受けたことがきっかけだった。そうしたインスピレーションを得て日本に帰国してみると、第一次世界大戦後、彼の地元上田の農民たちは疲弊していた。そうした姿を目の当たりにし、上田を拠点に、農民自身が農閑期に工芸品を作り、副収入を得ると同時に、美術的な仕事を通して、農民の文化と思想を高めようと「農民美術運動」をおこしたのだった。そのことによって柳宗悦らが興した「民藝運動」と並ぶほど全国各地にその運動が広まったそうだ。実際に農民たちは手にする鍬を彫刻刀に持ち替え、自分たちの農業の様子などをモチーフに木彫りの作品を作っていった。まさに農民たち自らが表現したアートといっても過言ではないだろう。

 

https://www.santomyuze.com/museumevent/normin_art100_2019/

 

 山本鼎が見た人形についてなのだが、確かに北欧を旅していると、ヴィンテージショップや蚤の市でその土地特有の働く姿をモチーフにフィギュアのような作品が、素材に問わず多く作られているのをよく目にする。例えばデンマークのMichael Andersen & Sønのフィギュアはデンマークのボーンホルム島で盛んな漁業を行なう夫婦をモチーフにデザインが施されていたり、フィンランドのオッキライネンというデザイナーは陶芸家でもあるけれど、木彫りのこけしのような現地の民族衣装を纏ったチャーミングな作品も残している。山本鼎がこういった同じフィギュアを実際に見ていたかどうかは定かではないが、今住んでいる場所のアイデンティティの素になったインスピレーションソースのフィギュアを手にして、この文章を書いているとなんだか感慨深いものである。

 

 

 

 さて、山本鼎は農民たちに日常に美術の視点をもたらしたことで、労働の中で自己を表現して作るという楽しさを指し示したのかもしれない。時が経って農民たちは持っていた鍬を彫刻刀だけでなく、パソコンやスマートフォンに持ち替え、メインの仕事として行っていた農業も手放し、今やホワイトカラーと呼ばれる仕事へと時代共に徐々に移り変わっていった。「半農半X」、いや今や普段の仕事の合間に農に勤しんでいるのを見るにつけ、正しくは「半X半農」と表現したほうが適切なのだろうか。いずれにせよ、仕事の中に自分自身で作るという行為が、自らの心を豊かなものにし、結果として生き生きとした人となりえていくのだろう。

 

こちらのコラムは2021年5月15日に配信されたニュースレターの内容の再編集版です。 https://mailchi.mp/f340deb02d22/20210515


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