自立共生の間のデザイン

 先日のコラムでも紹介したように「コンヴィヴィアル・テクノロジー 人間とテクノロジーが共に生きる社会へ」の読後の余韻がいまだに頭の中から離れない。思想家/文明批評家のイヴァン・イリイチが提唱した概念「コンヴィヴィアリティ(自立共生)」を脳内にインストールしたことで、だいぶ物事の見え方というものが、明らかにしなやかに変化していっているようだ。そういった世の中の見方が変わったという意味でも、一年の折り返し地点で振り返った時の自分の中で上半期のベストブックといってもいいだろう。

  

 

 本書でも触れられていたのだが、「自立」をしていくためには、あらゆる物事において依存できる拠り所を複数持っているということが「自立」していくために効果的だというに言及されていた。「自立」というと誰に頼ることなく自分自身の力でもって立たなくてはならないと勘違いしがちだけれど、実は相互関係の中で「共生」していくということが「自立」への道標となっているところが、ハッとさせられとても興味深いポイントだった。

 

 

 今週頭に畑で育てていたルバーブを初めて収穫した。

 

 

 ルバーブはシベリア原産のタデ科の野菜として位置付けられ、マガジンa quiet dayの取材先でもある北欧諸国では盛んに栽培されている。現地では農業として大規模に栽培されているということではなく、各家庭の庭先などで手軽に育てているという印象だ。

 特にスウェーデンの第三の都市マルメから電車で10分ほどストックホルム方面に進んだところにある学園都市ルンドで活躍するフォトグラファーの友人のIda Magntornの家のルバーブに魅せられたことが、自分のルバーブ熱に火をつけるに至ったのだった。

 

 

 
 彼女の家のデコレーションは、インテリア雑誌にも取り上げられるほどスタイリッシュで見応えのあるものなのだが、その取材はそこそこに、彼女のインスタグラムでポストされていた大きな葉っぱのルバーブを一目見ようと、彼女の手入れしている庭を一目散に見せてもらったのだった。

 

 けれど期待とは裏腹で5月前半のスウェーデンだったということもあり、天気が悪いと10度以下になるような天気だったため、その成長具合も芳しくなく、期待通りとはいかなかった。Ida曰く雑草みたいなものだから簡単に作れるということを教えてもらい、早くも自分の手で作ることを心に決めたのだった。あれから4年ほど月日が経ち、昨年は東京の世田谷通り沿いのベランダに置いたプランターで育苗し、晴れて今年の5月に信州・上田の畑に定植したという訳だ。

 

 

 畑への定植、つまりルバーブを「自立」させてみるとその一連のプロセスが興味深い。プランターという限られた世界から解放され、伸び伸びとそして生き生きと生育し始めたのだが、畝に活着した頃にはルバームにとっての害虫、アブラムシが新芽に発生し、そのアブラムシのお尻から出てくる甘い蜜に誘われた蟻が密集してしまう事態に見舞われた。

 自然農という農薬も肥料も与えない農法で育てているので、駆除剤はもっての外なのだが、アブラムシとの鼬ごっこのような局所的な対応は避けたかったので、アブラムシがどうして新芽に集まっているのかということを考察し色々と調べてみた。すると、新芽から放出されているアミノ酸に群がっているのが直接的な原因で、さらにそのアミノ酸を生成するのに土の中の窒素分が過多になっていると必要以上にアミノ酸を放出してしまうという特性が真因であることを突き止めることができ、アブラムシが発生した箇所だけでなく、畑全体の窒素過多の状態を、木酢液を散布することで中和させていくという戦術のもと対処した。

 するとみるみるうちにアブラムシはどこかに去ってしまい、最終的にはアブラムシにとっての天敵の虫たちなども集まってくれるように生態系が変化してきたことが一連の体験として面白く、ルバーブが自然の中で「自立」、そして「自立」を可能にしていくアブラムシの天敵たちや環境との「共生」のプロセスの中で、人間が意図的に介在できる部分というのは、実はほんの少しのことなのかもしれないということを学んだのだった。

 

 

 自然界の「自立」「共生」関係は、それ以外の事柄にもその考え方を応用することができるだろう。先日、一緒に仕事をさせていただいているデンマークの輸入雑貨・家具の総代理店をつとめるNOMADの新作商品をプレゼンテーションする「暮らしのパラダイム展」という自社展示会が無事終わった。今回で2回目をむかえるこの展示会の初回の企画段階からコンセプト作り、映像制作までの全体ディレクション業務を務めているのだが、意識しているのが空間づくりからコピーライティングまで「答えを提示しすぎない」ということだ。スタイリング提案した空間に、来場者である取引先やメディア関係者のみなさまが足を踏み入れ、各々の認識や視点を持ってイメージや解釈をする段階、つまりお客様の頭の中で完結するようなということを、回に関わらず大切にしている。

 こういった解釈を委ねる体験の代表例として京都の龍安寺の石庭が挙げられる。石庭には、岩と丁寧に整えられた砂によって、日本人の心象風景を表現しているとも言えるのだが、拝観している人たちの頭の中では、どこか遠くの田舎の風景を想像している人もいるだろうし、そこにあるはずのない波の音を感じているかもしれない。こういった仕掛けを敢えてやっているかどうかは分からないけれど、岩と砂を配置・デザインし、鑑賞者の解釈という「共生」関係があって初めて「自立」した作品として成立するというポイントでは、「自立」と「共生」の間をうまくデザインしている例なのではないだろうか。

 今回開催した展示会はというと、新旧のデザインプロダクトを織り混ぜ、シーンを想起させるような仕掛けにしていたことも相まって、人によって注目するポイントが異なっていたり、今まであった定番プロダクトなのにも関わらず新鮮さを感じ取ってくれたりと、新たな意味づけや再発見をしてもらえる機会となり、お客様と「共生」することで初めて「自立」した展示会として成立することができた。

 さて、自然界からインテリアまで共通する「自立」と「共生」の関係性。これからのデザインはこれらの中にヒントがありそうだ。

 

こちらのコラムは2021年7月3日に配信されたニュースレターの内容の再編集版です。

https://mailchi.mp/f350e95db6ef/20210703


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